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サクラメント第2回訪問記

◆3月18~21日の訪問記
アメリカ帰りの掲示係です。出発前には、まだまだ堅いつぼみだった桜が、帰ってみるときれいに咲いている・・・、10日間ってそんなに長かったのかなぁなんて思っています。帰ってからのもろもろの後片付けも一段落しつつありますので、そろそろみなさまにご報告をはじめようかと。でも、あまりに盛りだくさん過ぎたため、少しずつお話していけたらと思います。


3月18日(火):出発2日前

ブッシュさんの「48時間宣言」を受けて、スタッフ一同かなり参りました。この調子で行くと、48時間後ってちょうど出発の日。そこで、スクール長はアメリカ遠征部隊の保護者会長に電話をしました。

「以前の保護者会でもお話しましたが、このまま行くと、出発当日に開戦しそうです。チームが成り立たないようなら、体験旅行自体をキャンセルしたいと思います。保護者の方々に、最終の判断をしていただくよう連絡をお願いできませんか。キャンセルしたい方は、直接私まで連絡ください。」

スクール長だけは、たとえ戦争で旅行が中止になったとしても、アメリカのみなさんのところにお詫びに行く・・・と言っており、それを聞いたある保護者は「それなら、うちの子も連れて行ってくれないでしょうか。」なんて言ったそうです・・・。

その後、スクール長は朝まで連絡を待ってみましたが、どこからもキャンセルの連絡はなし。

かくして、戦争開始まで秒読みの3月18日、中学生16名、選手の家族2名、スタッフ2名の計20名のアメリカ遠征部隊は、2日後の出発を決定したのでした。



3月20日(木)-日本時間

いよいよ出発の日を迎えました。11時に松山空港に集合。・・・と同時に、アメリカが攻撃を開始したとのニュース・・・。「やっぱり・・・」とは思っていましたが、もう行くと決めた以上、いまさらジタバタしても始まりません。空港で、出発前の参加者を1人ずつデジカメで撮影しました。さまざまな体験を終えて、帰ってきたときには、どんな顔になっているんだろう・・・と楽しみに思いながら。

チェックインを済ませて、荷物を預けて、さぁ、搭乗ゲートに向かおうとしたそのとき、「コーチぃ・・・」後でなんともいえない声が。振り返ってみると、チームの荷物が入ったスーツケースを担当する係になったY太が、「これダメだって・・・」アメリカへの視察以来、お世話になった方々のためのおみやげが、重量オーバーなんだそうです。「そんなことがあるのね」なんてのんきに言っている間に、優しい空港のお姉さんがなんとか対応してくれ、今度こそ無事に乗り込めました。

(NH590便 松山12:15-13:35羽田)

羽田についたら、今度はバスに乗り換えて成田まで向かいます。1時間ちょっとの睡眠をとる者もいれば、乗っている間中エンドレスにしゃべりつづけている者も。この先大丈夫かなぁ・・・。

成田では、ギリギリの時間にチャックインカウンターに飛び込みましたが、飛行機の出発が遅れ結果オーライ。なんとか出国手続きを終え、飛行機に乗り込みました。それにしてもエコノミークラスは狭くてつらい・・・。うちの大きなスクール長、エコノミー症候群になったらどうしよう。

国際線の飛行機内では、スクール長の下した消灯時間の命令を守らず、各座席の前についているテレビゲームをしつづけている選手数名に大きなカミナリが落ちました。機内食は、うーん・・・、コメントを控えます。(NH8便 成田17:20-9:35サンフランシスコ)



3月20日(木)-アメリカ時間

日付変更線を越える関係で、アメリカに行くときは1日得します。もう1回20日のやり直し。飛行機が到着後、サンフランシスコの空港内で、プチ迷子になりました。みんなでスーツケースを引きずりながら、あっちへウロウロ、こっちへウロウロ・・・。その原因は、方向音痴の私なんです、みなさんごめんなさい。このころから、男子キャプテンM前の顔色が少しずつ変わってきます。出発前日にあった熱が、ぶり返している様子。なんとかサクラメントまで持ちこたえてください。

(UA6754サンフランシスコ11:30-12:15サクラメント)

さまざまな苦難を乗り越え、なんとか国内線に乗ると、着いた先は目的地サクラメント。空港にはたくさんの方がお迎えに来てくださっていて・・・、感激です。

その日は、選手と私は天理教の教会(チャーチ)へ、スクール長、選手以外の中学生、選手の家族はホテルに泊まりました。ただし、発熱のM前だけは、選手とはなれてホテル泊。到着後、即病院に担ぎ込まれた後、スクール長と同じ部屋に泊まり、スクール長の厚い(熱い?)看病を受けました。

夜は、チャーチで田所さんファミリーがバーベキューパーティーを開いてくださいました。そこで、ハンバーグやソーセージを焼いて、ハンバーガーやホットドッグを作りました。すごくおいしかった!

さぁ、明日からは本格的に活動開始です。



3月21日(金)

こちらに来て最初の体験は、なんとサクラメントのファーゴ市長の訪問です。「しかもバスケットボールのチームなんだから」と言われて、みんなジャージ姿での訪問。日本では考えられません。ファーゴ市長は優しそうな女性で、松山市の中村市長からお預かりしていった親書とおみやげをお渡しし、代わりに中村市長宛のおみやげをお預かりしました。

実は出発前、松山市の中村市長をみんなで表敬訪問し、そのときにサクラメント市のファーゴ市長宛の親書をお預かりしていたので、それのお返しというわけです。みんなにも1人1人におみやげを用意してくださっていて、大変な記念になりました。記念といえば、われらがスクール長はファーゴ市長とハグのあいさつができたこと、嬉しそうに自慢していましたよ。

その後、山口県出身の下院議員ロバート・マツイさんのオフィスを訪問し、お昼には、日本食レストランでおうどんを食べました。マツイさんのオフィスで、棚に飾られた人形を発見。旧ソ連のゴルバチョフさんだったのですが、ある女子は「あ、この人、頭から血が出とる・・・」ゴルバチョフさんって、頭の大きなシミがトレードマークだったじゃないですか。ゴルバチョフさんなんて知らないと言い切る中学生たち。みんな、歴史の成績は大丈夫なのかしら?

午後からは、1時間ほど体育館を借りて練習をした後、SASFトーナメントのオープニングセレモニーに参加しました。そこでは、全員に参加記念品のTシャツを頂きました。しかし、「セレモニー」とは名ばかりで、適当に集まった仲間同士でのゲームがどんどん行われます。男子も女子も、年齢も関係ありません。

わがレジェンドのみなさんは、女子キャプテンのYちゃんを除いては、かなりの及び腰。入っていきたい気持ちはあるけれど、入っていく勇気が出ない・・・。そういう後ろむきな気持ちを、アメリカに来て前向きにするんじゃなかったの?

でも結局は、アメリカ人の子どもたちに声をかけてもらい、何とか友達作りができていたようです。みんなよかったね。


◆3月22~24日の訪問記
3月22日(土)

今日はいよいよトーナメント本番です。男女ともに朝9:00開始の第1試合。男子(YAMATO)は、サクラメント・バロンズと、女子(NADESHIKO)は、SJUMC C-1と、それぞれ対戦しました。私は、女子の担当です。というわけで、まずは会場の紹介から。女子の試合会場、エルク・グローブ・ハイスクールは元NBAプレイヤーのビル・カートライト選手の出身校です。ビル・カートライト選手とは、シカゴブルズの全盛期に、神様マイケル・ジョーダンのチームメイトとして活躍した選手です。

その選手が、1ミリオンダラー(=約1億円)を学校に寄付し、建てたのが、私たちが今回試合をした体育館だそうです。中にはビル・カートライト選手の等身大のパネルも飾ってあり、ブルズ時代のユニフォームも展示してありました。なお、肝心の試合結果はというと、女子は、アメリカ上陸の初戦白星です。ただ、次の試合を惜しくもおとし、明日はリーグの3位決定戦にまわることになりました。残念・・・。

でも、みんなバスケットボールをしっかり楽しんでいました。アメリカでは、バスケットボールはplay(遊ぶ)するもの。タイムアウトでベンチに帰ってきても「たのしー!!」と叫んでいましたよね、Y果・・・。

男子はというと、3チームでのリーグ戦だったのですが、この日は2試合とも敗れ、明日は隣のリーグの最下位チームと、最下位決定戦です。スクール長いわく、対戦した男子のチームはどこも試合巧みで、ミスマッチなどを見逃さずに突いてくるバスケットだったそうです。そうなってくると、T也ほどの身長の選手はほかにはおらず、しんどい立場に・・・。そんな状況の中でも、必死にDefをがんばるT也には、アメリカの観客の方からも歓声が上がっていたとか。がんばったね、T也。

さて、この日の夜は、「social」と呼ばれる、SASFのディナー・パーティーに参加しました。この会の途中で、私達レジェンド松山一行は、1人1人名前を呼ばれ、壇上に上げられました。そこでは、各自にサクラメント・キングスのカレンダーをプレゼントされ、チームには、キングスの選手のサイン入りキャップ帽と、WNBAサクラメント・モナークスの選手のサイン入りボールを頂きました。

獅子舞の歓迎も受け、楽しい時間を過ごすことができました。その後も、選手向けにはダンスパーティーがあります。アップテンポの曲がかかった、日本で言う「クラブ」のような雰囲気の会場で、みんな楽しそうに踊っていました。レジェンド軍団も、一応、会場には入ってみましたが、慣れない雰囲気に圧倒され、早々と会場から外に出てきてしまいました。

「テレビで見るような感じ。すごかったよ!でも、あそこに長くはおれん(いられない)。」・・・だそうです。



3月23日(日)

トーナメント2日目の朝です。チャーチでは、田所さんが気を遣ってくださり、白いご飯とお味噌汁という朝ご飯を頂きました。久しぶりの日本食、選手のみんなはしばしの幸せに浸りつつ、腹ごしらえも完了です。今日は、男子が9:00から、女子は11:30から、それぞれゲームです。私達NADESHIKOも、朝はまず、男子の会場に応援にいくことにしました。男子の会場は、女子会場とは少し違う雰囲気。試合が開始すると、アメリカ人の男子選手の個人技に驚かされました。

刺激をもらった女子も、次は自分たちの試合です。これに勝てば3位・・・、と気持ちだけはあったのですが、ここに来て飛行機の長旅以来の疲れが出てしまい、惜しくも敗れてしまいます。後で聞くと、男子も今日のゲーム負けてしまったそうです。

この日のゲームでは、前日、頭が真っ白になってしまい何もできずに終わっていたM里の集中力を見たスクール長が、よしよし・・・と微笑んでいました。同じく、貧血気味で、体が自分の思うとおりに動かなかったSラ。この試合ではさすが頼りになりました。

というわけで、アメリカでの初めての試合は、男子3敗、女子1勝2敗という結果に終わりました。

ところで、今日の夜はサクラメント体験旅行の中でもメインイベントのNBA観戦!地元サクラメント・キングスVSヒューストン・ロケッツの対戦です。ロケッツは、中国出身の長身選手ヤオ・ミンを擁するチーム。現在カンファレンス2位のキングス対今年話題のロケッツとあって、試合前から超ドキドキです。ただでさえおいしい、NBA観戦なのに、なんと試合前には、会場であるアルコ・アリーナのフロアに入れてもらい、センターサークルにてみんなで記念撮影。

そのとき、キングスの#24ボビー・ジャクソンが5mほど先でシューティング練習をしていました。その後も、スポンサーなどのVIPルームや選手の家族の控室、メディア関係者の控室、選手の車庫など、普段では絶対に入れない裏方の部分を次々と見せてもらい、心臓が飛び出そうなくらいに興奮しました。

試合も接戦のおもしろい試合で、キングスのマイク・ビビーとペジャ・ストヤコビッチが活躍しました。注目のヤオ・ミンは、この日はイマイチ。でも、ハエたたきのようなブロックショットはすごかったぁ!

ちなみにその間、MワとYは、「勝」なんて書いたカードを持って、一生懸命テレビに映ろうとアピール。あんなにがんばったのに、残念だったね。



3月24日(月)

トーナメントも終わり、今日は、ゆっくりとした朝を・・・なんてはずがありません。今朝は、チャーチの田所さんファミリーとお別れです。お別れにと、今朝の朝食は、ホテル組も集まってみんなでパンケーキパーティーです。ふかふかのパンケーキは、本当においしかったですよ。お世話になったごあいさつをして、みんなで写真をとって、寂しいけれどおわかれです。優しい田所さんや、気さくな息子さんたちにまた会いたいなぁ。

荷物をホテルに移動した後、この日まずは、カリフォルニア州の鉄道博物館に行きました。ホテルから歩いて5分のところにあります。

サクラメントは、ゴールドラッシュ発祥の地で、その歴史を記念して「オールドサクラメント」という古い街並みを残した地域があります。レンガ造りの建物が建ち並ぶとおりを馬車が走っています。そんな街並みも一角に、鉄道博物館もありました。

中には、ゴールドラッシュの時代に金を運び出すための列車や、燃料となる薪や木炭を運ぶ列車はもちろん、超豪華な寝台列車や、かつて活躍していた郵便列車など、歴史的な鉄道関係のものがたくさん展示してあります。その時代の匂いが残る列車の中に立っていると、当時の音や働く人々の話し声が聞こえてきそうになりました。

鉄道博物館を後にし、午後からはアーデン・フェア-という大きなショッピングモールに買い物に行きました。そこで、それぞれに5ドルずつ渡し、自分たちで注文して昼食を食べるという経験もしました。あとでそのときのレシートを見てみると、みんな一律にハンバーガー。男子、誰かが最初に注文したものを「オレも」って感じで、楽して終わったのじゃないのかなぁ?

夜は、姉妹都市教会のディナー・パーティーで食べきれないほどの中華料理が出てきました。その後、ホテルに帰って今回の旅行で初めて、全員一緒の宿泊です。ホテルでは、各部屋2つずつクイーンサイズのベッドがあり、各ベッドに2人ずつが一緒に寝ることになりました。男子も1つのベッドに2人ずつです。

このころから、O野は自分の意志をはっきりと表現できるようになってきました。アメリカの人々や文化に触れて、心の中に小さな芽が芽生えてきたようです。


◆3月25~27日の訪問記
3月25日(火)

今日の朝食は、昨日の残りの中華料理です。朝から中華パーティーをしました。選手には、お菓子禁止令を出しているため、間食もできない彼らは「朝から中華かよ・・・」なんて文句をいいながらも、しっかり食べていました。H子とMワが、順番に電子レンジで温めてくれたおかげで、みんなおいしく食べることができました。食べてばかりで、全く働かない者もいたような気はしますが・・・。

食べ終わると、まずはMatsuyama小学校の見学です。校内に入ったとたん、まず目に付いたのはこどもたちが遊ぶ遊具。全員がその遊具に群がり、体の大きいS崎までが楽しそうに遊び始めて・・・無邪気だなぁ・・・。春休み中なので、授業の様子は見られませんでしたが、学校内でお仕事をしていらした先生のお話を聞くことができました。

3年生の教室に入ると、3年生はお金の勉強をしているところらしく、自分たちでも粘土でお金を作ったり、各自で疑問を持ち寄った紙を張った掲示物があったりと楽しい教室です。毎日の予定も自分たちで書き込む形になっていたり、日本でいう九九のようなものの表が張ってあったり・・・。こどもたちが考えたり工夫したりできるようになっていて、何もかもが既成のものでマニュアルどおりに進めていけることが多い日本の学校の教室とは全く違うものでした。

次にカリフォルニア州の州庁舎の見学に行きました。建物の中は、美術館のようにきれいで圧倒されます。しかし、それ以上に、州庁舎の周りの公園が印象的でした。サクラメント市の中心部でありながら、広大な土地に緑がいっぱいで、野生のリスまで住んでいます。公園内にはベトナム戦争やスペイン戦争の記念碑があり、戦争で犠牲になった方の名前が刻まれた記念碑もありました。何かとても感慨深い思いにかられるひと時でした。

午後からは、サクラメントに本拠地をおく、リバーキャッツというマイナーリーグ3Aの野球チームのスタジアムを見学しました。ちなみに3Aとは、Attitude(姿勢、心構え)、Attendance(出席、参加)、Academic(理論的、学問的)の約だそうです。ラリー・フィールドというその球場は、3年前に建ったばかりの新しいスタジアムで、様々な工夫が見られました。

例えば、観客席の柱には、地元の小学生が絵を書いたタイルが貼ってあります。タイルを作った小学生が試合を見にきてくれるように・・・、そして、その小学生が大人になってからも自分たちの子供を連れて見にきてくれるように・・・という意味だそうです。地域に密着していて、見に来てくれる人のことを考えたスポーツというものを実感しました。

このころには、選手の疲れもピーク。送迎してくださる車を降りるときに「サンキュー」も言えないくらいでした。スクール長より「何を体験しに来ているのか」と何回もお説教を受け、「疲れているのは、ずっとボランティアでついてくださっているドライバーの方も同じ。もっと機敏に行動しなさい」と怒られていました。

それでも、子どもたちの様子は全く変わらず・・・、ため息をついていたとき、「次はショッピングです!」という姉妹都市協会の人の声。とたんに子どもたちの動きが変わりました。自分たちのショッピングだけには、すばやく反応します。何のためにアメリカに「体験旅行」に来たのやら・・・。「それじゃぁ、普通の観光旅行と変わらないじゃないか!!研修旅行だろー!!」またスクール長のカミナリ・・・。

でも、嬉しい変化もありました。最初はなんとなくチームになじめなかったT市。少しずつ笑顔を見せ始め、みんなの輪の中に入っていこうとする努力が見られるようになってきます。それを見たスクール長がひとこと「T市の笑顔っていいねぇ、笑うとハンサムじゃん!」

今晩は、ホームステイです。ホストファミリーの人たちと一緒に食事をし、その後、各家庭につれて帰っていただきます。食事のとき、仏教会では、警察犬のショーを見せてくださいました。ここでも、姉妹都市協会より1人1人にTシャツやお菓子など、たくさんのプレゼントを頂きました。ホストファミリーは、日系人の方ばかりでしたが、みんなに後で聞いてみると、どの家庭も超高級住宅街に住んでいる方ばかりだったようです。

ちなみに私のホストファミリーは、歯医者のお父さんとハワイ出身のお母さん、10歳のアリサと8歳のタイラーというおうちでしたが、プールはもちろん、ゲスト用のシャワールームも完備した大きなおうちで、お母さんはベンツのバン、お父さんはリンカーンに乗っていました。



3月26日(水)

朝は8時に各ホストファミリーがホテルまで連れてきてくださいました。

今日は、州の歴史博物館にいきました。中には合衆国憲法に出てくる大切なキーワードを彫った大きな壁があり、他の国に比べて歴史の浅いアメリカの国民が、いかにしてこの国を作り上げてきたかということや、アジア系移民の苦労も少しだけ感じることができました。向こうで知り合った方が言っていましたが、サクラメントでは見ず知らずの人同士でも平気な顔で「Hi!!」というあいさつをし、昔からの知り合いだったかのように話しはじめます。

エレベーターの中で知らない人と2人っきりになった場合でも黙っている方が珍しいらしいです。でもこれは、カリフォルニアの歴史が深く関係しているとのこと。ゴールドラッシュで、一攫千金を目指し、様々な国や地方から一気に人間が集まり始めたとき、「お互いに敵ではない」ということを証明するために、はじめてあった人同士でも親しく話し、そうすることでお互いを知り合ったというこの土地ならではの歴史です。

そんなサクラメントでは、白人も黒人もアジア系の人もみんな同じ職場で働きます。よその土地では絶対に考えられないということで、例えば、白人の人が働く銀行に白人の人がお金を預け、黒人には黒人用の銀行があって・・・というふうに、たいていの土地では人種ごとの住み分けされている場合もあるそうです。そのように、人種・民族を超えてお互いを認め合っていく・・・という歴史も含めて、サクラメントはあたたかい雰囲気をもっていたのかもしれません。

実際にすんでいらっしゃる人には私たちにわからないような苦労があるのでしょうから、簡単にいえることではないのでしょうけれど。

その後、サターズフォートという開拓者が築いた砦を見学し、カリフォルニア・ステート・カレッジ・サクラメントを訪れ、日本人の先生や留学生の方に案内をしていただきました。設置されている設備自体は、日本の大学ともあまり変わらないような気がしますが、それぞれの規模が全く違います。ため息が出てきそうでした・・・。

ここでも、説明を受けている間は、しんどそうな子どもたち。でも、買い物のときだけは機敏な行動。こんなことでは、サクラメントの方々に申し訳ない・・・。

夜は、今日もホストファミリーと一緒に仏教会での食事です。今日のメニューはメキシカンで、かなり辛かったぁ。でもおいしかったですよ。

その後は、みんな、各ホストファミリーのおうちに帰っていきました。



3月27日(木)

朝8時にバタバタとバスに乗り込みサンフランシスコに出発しました。最初に、ジェリーベリーの工場に行きましたが、ここでは、色とりどりのジェリー・ビーンズを作る過程を見学できます。甘い匂いが工場内に広がって、甘いもの嫌いのスクール長でなくても、寝不足の体には少し響きました。

それが終わると、まっすぐサンフランシスコへ。途中、ハイウェイの上からサンフランシスコ・ジャイアンツのスタジアムが見えました。有名なケーブルカーも見ることができました。坂の町とは聞いていましたが、坂の傾斜は予想以上。ジェットコースター並にあがったり下がったり・・・。しかも、坂の途中であっても、容赦なく信号はやってきますから、斜めに傾いた状態で止まったりもします。スリル満点です。

昼食には、サンフランシスコの港でシーフードを食べました。H原がぼそっと、「あ、アシカ・・・」食事中、レストランの窓からは海が見えましたが、桟橋のところには野生のシーライオン(アシカ?)がいました。

食事が終わると、アルカトラズ島までフェリーでわたりました。アルカトラズ島内の刑務所後は、観光客が多く、スタッフの人も微妙な日本語で親しげに話し掛けてきます。しかし、建物の中に1歩足を踏み入れると、やはりそこは凶悪犯ばかりを集めた刑務所跡。冷たく重い空気が流れていて、背筋がぞっとします。アル・カポネが収容されていた独房も見ることができましたし、実際に独房の中に入れる場所もありました。生きることに必要のないものは一切与えられなかったとも言われていますが、あの場所にずっといると正常な意識を保ちつづけることはできなってしまうんでしょうね。

ここで、私が偶然耳にしてしまった、子どもたちのショッキングな会話を1つ。「ここが刑務所だなんて、全然知らんかったぁ!!なんか怖かったよね。」おいおい、バスの中でも説明したし、事前に予定表も配っていったのに・・・。

サンフランシスコからの帰りは、かの有名なゴールデンゲートブリッジをわたって帰りました。夕食には、日本食のレストランでテリヤキチキン定食を食べました。本当はバーベキューが食べたいとのリクエストだったのですが、文化の違いからテリヤキチキンになってしまったようです。

夜はみんなでミーティング。厚い看護を受けたM前の話になったとき、スクール長の背中側で、K太が何かをぼそっとつぶやきました。「なんて言ったの?」と問い詰められて、本気で青くなったK太。スクール長も、別に怒っていたわけじゃなかったのに。


◆3月28~30日の訪問記
3月28日(金)

サクラメントに来て初めて、ゆっくりできる朝でした。本来の予定ならば、帰国準備のはずだったのですが、サクラメントの方々のあたたかいお心遣いにより、今日もお昼からは予定がたっぷりです。

アニマルシェルターには、偶然にも日本人のスタッフの方がいらっしゃったおかげで、十分な説明を聞くことができました。以前見学したシアトルのように、捕らえられた野良犬や野良猫はもちろんのこと、飼えなくなった動物たちもいましたが、それ以外にも興味深い話を聞くことができました。

例えば、ここの施設には、飼い主が罪を犯して刑務所に入ったため飼えなくなった動物や、飼い主に虐待されて瀕死の状態で見つかった犬もいました。虐待した飼い主は、動物虐待の罪で裁判にかけられるため、その証拠として犬は今でもそこで飼われているのだそうです。また、飼えなくなった動物を夜の間に置いていくポストのようなものがあったり、避妊手術の設備を備えたトラックがあったりしました。

しかし施設にも限りがあるため、動物を薬殺する部屋もあります。薬殺した動物を入れておく部屋もあり、その前ではみんなで手を合わせて、動物たちの冥福をお祈りしました。それまでは、施設内の動物を見てかわいい、かわいいと連発していた子どもたちも、その動物たちがたどる将来の姿を知らさせることで、神妙な顔つきになっていました。動物を飼うということの責任をみんな少しは感じることができたようです。

その後は、みんなでボーリングに行きました。何組かのホストファミリーも来てくださっていて、楽しい時間を過ごすことができました。

そのまま夜は、お別れのピザパーティーです。サクラメント滞在中にお世話になった様々な人が参加して、記念の写真を取り合ったり、通じない言葉でコミュニケーションを図ったり・・・。みんな、最後の思い出になったことでしょう。



3月29日(土)

朝5時にホテルを出発、空港に向かいました。早朝にもかかわらず、たくさんの方がお迎えに来てくださり、おみやげにということで、手作りのおにぎりまで頂きました。

(UA6751 サクラメント7:14-7:58サンフランシスコ)

サンフランシスコに着くと、そこからは日本語が通じる世界です。なんだか急にほっとしました。セキュリティーは相変わらず厳しく、私のパソコンや、みんなが持っているカメラなどはとても念入りに調べられました。飛行機に乗り込んだとたん、ほとんどが眠りの世界に直行だったようです。飛行機に乗り込む前、体調のことなどを考え、ゲーム禁止令を出していたスクール長の指示を守らず、1人雷を落とされた者もいるようですが、その他は特に問題なかったのではないんでしょうか?

・・・ということで、あっという間に日本に帰ってきました。

(NH7サンフランシスコ10:40-14:55成田)



3月30日(日)-日本時間

成田に着くと、入国検査はパスポートを見せるだけと簡単で、あっという間に羽田行きのシャトルバスに乗り込むことができました。予定よりも羽田行きのシャトルバスに乗り込むことができました。予定よりも40分も早いバスに乗ったにもかかわらず、羽田空港ではバタバタの手続き。夕方ということもありとても込み合った空港内、国際線よりはマシですが、相変わらずの厳しいセキュリティーと余裕を持って行動するひまもありません。必死の思いで松山行きの飛行機に乗り込みました。(NH599羽田18:35-20:00松山)

松山に着くと、参加者の保護者はもちろん、スタッフのみなさん、市役所の国際文化振興課の方まで来てくださっていて、感動の再会です。気を張って、必死の思いで乗り切ってきた、向こうでの10日間がうそのように、全身の力が抜けてしまいました。


◆さいごに
サクラメントでの大歓迎を受けたおかげで、忘れられない旅となった今回の体験旅行。たくさんの人に支えられて、たくさんの人と知り合うことができて、私にとっては大きな収穫となりました。普通の観光旅行では絶対体験できないような、様々な体験をさせていただきました。

今回の出会いで、自分という人間をもっともっと大きくして、胸を張って生きていけるようにしたいと強く思うとともに、そのためにはどんなことが必要なのか、考えるきっかけにもなりました。

でもやはり思うのは、今回のような短期間の体験では、サクラメントに生きる人々のほんの1部分しか見えていないということと、英語を話すことができないというハンデの大きさ。シアトルを訪れたときには、「この街はこういう街なのか」と感じだけだったのが、今回のサクラメントでは「この街を、もっと知りたい、この街の人々ともっとコミュニケーションをとりたい」と強く感じました。日系人という、自分たちと似通った形だけど、全く違う人たちと出会ったからなのかもしれません。

支離滅裂な文章になってきましたが、とにかくサクラメントは精神面に深く訴えかけてくるものがある街でした。