私がオリンピックに出場したのは1976 年、カナダのモントリオール大会でした。
私は中学・高校・実業団と進みユニチカという実業団で最終 的にバスケットボール選手として開花させてもらうわけですが、その当時ユニチカは、バレーボール日本一がよく知られていました。しかし、バスケットも日本一だったのです。
日本一になる実業団の練習 ってどうだろうと思われますが、はっきり言って地獄でした。あくまで二十数年前の話ですが、覚悟は
して入ったつもりでも、チームの練習は時間も内容もけたはずれで、一日の日程は六時起床、八時まで
早朝練習で朝食を取って九時出勤、十二時退社、三時より監督が納得するまで練習です。特に一年生の間はボール磨きに上級生の練習着や下着の洗濯、食事の用意に後片付けと練習以外にやることが多く、一日中走り回っていました。
その上特に体育館内の掃除にはとても厳しく、毎日バスケットシューズの裏まで掃除して5センチ間隔に並べて、きちんと置いておくことまで言われました。窓に埃があったりしたら上級生から大目玉、それだけに体育館はいつもピカピカで、入るとピーンと気が引き締まったものです。痛いまでにとぎすまされた雰囲気と集中力がなければ日本一など目指せないと教えられました。
一日の生活もすべて練習に結びついていて、洗濯も手洗いで筋力強化に努めます。練習が終わると、一年生はコートからお風呂へ行くまでの通路に何個かのバケツをすぐ並べます。先輩達は次々に脱いでバケツに入れていきます。それを抱えて洗濯に走り残りの者は急いで風呂に入って、自分の汗を流す間もなく先輩の背中を流し、その流し方も決まっていて順序を間違えると叱られます。
一度教わったことはきちんと覚え、その場その場ですぐ対処できるトレーニングのひとつです。(こういったことは今、嫁姑の間で大変役に立っております。)また、実業団のイメージとしてつきもののコーチ“愛の鞭”ビンタは日常茶飯事でした。今、思うと自分でもよくやったなと思うのですが、ではどうしてそれでもがんばれたのか、その精神力はどこで養われたのかということで、私の小さい頃の話を少ししたいと思います。 |
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